ちょび
※わたしのひとりごとです。長いので、スルーしていただいて結構です。
彼女はアメリカで生まれました。
とあるモールのペットショップで、だんな様は彼女と目が合ってしまいました。
そのときは1,200ドルほどだった彼女。
次にそのペットショップに行ってみると、まだいて、値段が下がっていました。
そして、またその次にいってみると、最初の値段から3分の1の値段へ更に下がっていました。
「これはもう、僕が買ってやるしかない」
そう思っただんな様は、彼女を連れて帰ってきました。
それがちょび。
16年前の出来事です。
来た当初はトイレもちゃんと覚えず、ひたすらいろんな人の後を追いかけていたちょび。
同居のねこちゃんを追っかけては嫌がられていたちょび。
だんな様の帰国に合わせて飛行機に3度も乗ったのもちょび。
日本に入国する際には、検疫のため成田で2週間から1ヶ月も留置されていたちょび。
わたしが初めて会った時は、もう6歳でしたが、元気いっぱいのライオン丸(ぼさぼさ)。
すぐにわたしと仲良くなり、いつもお散歩に連れて行きました。
お散歩の際には必ずと言っていいほど、ボール遊びをおねだり。
何時間もボールを追っかける姿は今でも目に焼きついています。
そして、みんなにかわいがられました。
たまごが生まれたときには、わたしのなれないオムツ交換にイライラしながら心配そうに見つめていました。
そして、大福、ミニたまごと、もう孫の感覚で子供の誕生に立ち会いました。
つい最近まで、階段ものぼり、テーブルの上の食べ物をとったりしていました。
よく粗相をする子だったので、オムツになったのは案外早かったです。
でも、わたしが見えなくなると追いかけてきて、いつでもわたしを探すようになっていました。
それが、いつのころからか、目が見えなくなり、耳も聞こえなくなり、階段ものぼれなくなりました。
体温調節も難しかったのでしょう、今年の夏は特に厳しかったので、彼女にはつらかったはずです。
でも、この夏は何とか乗り越えました。
しかし、このところ、頻繁に徘徊するようになり、外に出ていたり、自分からは抜け出せないようなところに落ちていてたり。
予兆はありました。
一週間前、娘の運動会で、4時間強、家を空けていた間に、神様に呼ばれて逝きました。
暑い日だったので、きゃんきゃん鳴いていたそうです。
つらかっただろうに、本当にかわいそうでした。
わたしは、自分のせいだと、本当に後悔するばかりです。
この一週間、何もする気が起きませんでした。
今でも、このブログを書きながら、泣きそうになっています。
死に目に会えなかったのが悔やまれますが、それはわたしのエゴでしょう。
もしかすると、見せたくなかったのかもしれません。
わたしにできることは、ちょびが我が家の一員として幸せであったと祈ること。
天国で前のようにボールを追いかけて走り回っていてくれると願うこと。
わたしたちにとって、ちょびは大切な家族であり、こどものような存在でした。
こどもたちに動物のすばらしさ、生き物の大切さを教えてくれました。
長男は、ちょびの死を聞いて、号泣しました。
娘もさびしくて泣きました。
でも、それが生きると言うこと、生き物はいずれ死ぬのです。
だから、いのちは尊いのです。
生きている間に、どれだけすばらしい瞬間を分かち合えるか、それが大事なのです。
それを教えてくれたちょびに、わたしは感謝します。
ありがとう、ちょび。本当に、大好き。
彼女はアメリカで生まれました。
とあるモールのペットショップで、だんな様は彼女と目が合ってしまいました。
そのときは1,200ドルほどだった彼女。
次にそのペットショップに行ってみると、まだいて、値段が下がっていました。
そして、またその次にいってみると、最初の値段から3分の1の値段へ更に下がっていました。
「これはもう、僕が買ってやるしかない」
そう思っただんな様は、彼女を連れて帰ってきました。
それがちょび。
16年前の出来事です。
来た当初はトイレもちゃんと覚えず、ひたすらいろんな人の後を追いかけていたちょび。
同居のねこちゃんを追っかけては嫌がられていたちょび。
だんな様の帰国に合わせて飛行機に3度も乗ったのもちょび。
日本に入国する際には、検疫のため成田で2週間から1ヶ月も留置されていたちょび。
わたしが初めて会った時は、もう6歳でしたが、元気いっぱいのライオン丸(ぼさぼさ)。
すぐにわたしと仲良くなり、いつもお散歩に連れて行きました。
お散歩の際には必ずと言っていいほど、ボール遊びをおねだり。
何時間もボールを追っかける姿は今でも目に焼きついています。
そして、みんなにかわいがられました。
たまごが生まれたときには、わたしのなれないオムツ交換にイライラしながら心配そうに見つめていました。
そして、大福、ミニたまごと、もう孫の感覚で子供の誕生に立ち会いました。
つい最近まで、階段ものぼり、テーブルの上の食べ物をとったりしていました。
よく粗相をする子だったので、オムツになったのは案外早かったです。
でも、わたしが見えなくなると追いかけてきて、いつでもわたしを探すようになっていました。
それが、いつのころからか、目が見えなくなり、耳も聞こえなくなり、階段ものぼれなくなりました。
体温調節も難しかったのでしょう、今年の夏は特に厳しかったので、彼女にはつらかったはずです。
でも、この夏は何とか乗り越えました。
しかし、このところ、頻繁に徘徊するようになり、外に出ていたり、自分からは抜け出せないようなところに落ちていてたり。
予兆はありました。
一週間前、娘の運動会で、4時間強、家を空けていた間に、神様に呼ばれて逝きました。
暑い日だったので、きゃんきゃん鳴いていたそうです。
つらかっただろうに、本当にかわいそうでした。
わたしは、自分のせいだと、本当に後悔するばかりです。
この一週間、何もする気が起きませんでした。
今でも、このブログを書きながら、泣きそうになっています。
死に目に会えなかったのが悔やまれますが、それはわたしのエゴでしょう。
もしかすると、見せたくなかったのかもしれません。
わたしにできることは、ちょびが我が家の一員として幸せであったと祈ること。
天国で前のようにボールを追いかけて走り回っていてくれると願うこと。
わたしたちにとって、ちょびは大切な家族であり、こどものような存在でした。
こどもたちに動物のすばらしさ、生き物の大切さを教えてくれました。
長男は、ちょびの死を聞いて、号泣しました。
娘もさびしくて泣きました。
でも、それが生きると言うこと、生き物はいずれ死ぬのです。
だから、いのちは尊いのです。
生きている間に、どれだけすばらしい瞬間を分かち合えるか、それが大事なのです。
それを教えてくれたちょびに、わたしは感謝します。
ありがとう、ちょび。本当に、大好き。